槇五鳳作『架鷹図』紙本 肉筆 二曲片双 屏風 びょうぶ パーティション パーテーション 和風 クリアランス インテリア

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サイズ 縦146.5cm 横122cm 厚さ2cm

折りたたみ時 縦146.5cm 横61cm 厚さ2cm

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槇 五鳳(まき ごほう)

生家の槇家は、谷地新町で代々藤左衛門を名乗る富豪の旧家で、五鳳は文化12年(1815)7月当家13代として生を受け、幼名を恭治郎といいました。富裕な環境と天性として風雅な血筋を受け継ぎ、19歳には仙台の絵師菅井梅関の門に加わり、梅関との死別でその後江戸に上り、31歳の時、椿椿山に入門、特に花鳥画を研究会得したといいます。また、江戸滞在中は春木南湖、耕雲堂南溟親子にも学んでいます。梅関と南湖は共に谷文晁を師とした間柄でした。
また、俳諧の師を江戸の一具庵一具に求めました。一具は村山市楯岡の髙梨家の生まれで、盤城の専称寺で剃髪した僧でしたが、江戸に出て俳道に専念した人物で、天保から嘉永にかけて江戸俳壇において屈指の宗匠でした。
師とも傍輩とも思われる人物に、過日庵祖郷もいます。彼もまた天保俳壇では江戸で聞こえた俳人であり、彼の主催した芭蕉忌に一具に伴われ参席したり、祖郷自身が江戸より来町し末永く交友を温めた仲です。
この様に風雅に絵画、俳句に没入したことで、家業の方は長子に譲り、祝髪衲衣の僧体となって、渋川の見える屋敷裏へ閑居し、石蘭亭五鳳と改め、いよいよ俳画壇の深奥を研鑚していきました。晩年の明治19年(1886)には句集の編述に丹精し、その後4年の歳月を経て「稲舟集」(俳諧新撰明治五百題)乾坤2巻が上梓されました。五鳳居士没年(明治23年)の半年前のことでした。
【河北町ホームページより】(2022年 3月 17日 12時 39分 追加)折りたたみ時の厚さは2cm→4cmに訂正致します。

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